tamamurasaki’s diary

不登校、読書、福祉、思ったことなどを書いていきます。

進撃の巨人(18巻)を読んで

やっと進撃の巨人の最新刊を手に入れ読み終わった。

エレン、ミカサ、アルミン、ジャン…。

どのキャラクターも壁の崩壊後の厳しい世界の中で生きている。そして、その中で段々と成長していく姿は見ていて面白い。彼らの成長こそが巨人の世界の中で生きる上での鍵になっていると感じる。

今回はシャーディス教官の回想が前半にあり、エレンの父親との関係についての話が描かれている。全体的にやはりウォール・マリア奪還作戦が始まるということもあり、幼き頃のエレンたちの姿がよく出てきている。幼いころは子供らしく可愛く描けている。絵のスタイルもすごく好みだ。

カルラ(エレンの母)に抱かれたエレンの赤ちゃんの姿も出てくる。

将来の「死に急ぎ野郎」とは思えない。

そこでのカルラのセリフがすごく良い。

特別じゃなきゃいけないんですか?

絶対に人から認められなければダメですか?

私はそうは思っていませんよ

少なくともこの子は・・・。

偉大になんてならなくても良い。

人より優れてなくたって・・・

だって・・・。見て下さいよ。

こんなにかわいい。

だからこの子はもう偉いんです。

この世界に生まれてきてくれたんだから。

                 by カルラ 

 まったく、このお母さんの言い方。愛があふれてていい。

巨人の住む世界で、こんな事言える人がいたらやっぱりその人も偉大だと思う。

ディメンションW、第6話のセリフ

先日放送していたディメンションW、第6話で良いセリフがあった。

百合崎ミラ:「結局、私が一番理解していないのは私自身なんですね。自分がなぜ生まれたのかすら分からない。」

マリー:「生まれた理由なんてもんは無いんだよ。道具にでもならないかぎりはね。今ん所あんたは道具じゃない。」

 生まれた理由、生きている動機、今やっていることの動機などを色々考えてしまうことは多かった。でも、マリーの励ましの一言は私にはすごく素直に受け取れた。

道具は作られる段階で役割を与えられる。パソコンならネットを見る。文章を作る。動画を見る。こうした目的を持って作られる。

だが、人間は道具とは異なり、「こうしなければならない」という明確な役割を与えられていない。非常に自由な存在だ。そして、自分がなぜ生きているのかを考え、明確な目的が分からないとしたら、それこそが自分が人間であることの証明と言える。

「○○をしなければならない」「○○でなければまともではない」そんな考え方こそ道具に近い考え方だといえる。目的が無い以上、何をするかは自分で決める。その意思を持った存在こそが人間だ。

「何をやるか」は自分で決めていい。当然、環境や境遇によって色々と制限は受けるが、その中で考えながら自分のやることを決めて、自由に生きれば良い。その中で楽しさや辛さ悲しさなどを乗り越えて、自分なりの人生を送れれば人として十分だと思う。

毒父家族を読んで(4)

毒父家族の中のモラハラの支配関係に関する記述部分をメモしておく。

 

 モラハラを受ける側は、加害者の巧みな操作によって人間性を否定され、『自分はダメな人』と思い込んでしまいます。さらに、加害者は『一緒にいる私はいつも迷惑をこうむっている』『被害を受けているのは私の方だ』と、自分の方が被害者であるように思わせます。モラハラ被害者はそうした操作を素直に受け入れ、自己否定に陥りやすいのです。

(略)自立性や自己肯定間の低い人ほど、こうした態度に惑わされやすく、支配から脱出できなくなります。

 

 

モラハラ加害者=唯一の理解者

モラハラ被害者、自立性、自己肯定感が乏しい。支配から脱却に罪悪感を感じる。

毒父家族を読んで(3)

毒父家族のワークから今後のことを考えると、今できることを積み重ね、自分のできる部分を自信につなげていくしかないと思う。

今、できること。

勉強、就職活動、料理を作りレパートリーを増やす、お風呂屋でリラックス、絵を描く、本を読む(漫画でもいい)、運動、お酒をたまに飲む、外食、登山などだ。

こうしたことから他人とのかかわりを増やし、自分の意思や個性をもう一回作り直していくことが必要だと思う。

毒父家族を読んで(2)

毒父家族のワークを通して気付いたこと。

<自分は真剣に物事に向き合っていない>

よく自分は「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」を言う。

だが、これらの言葉は嫌われたくないからなどの理由があると思う。例えば、「すみません」というのはたいして申し訳ないと考えていないのに発していることが多い。これは相手が不快な感情を持っていると感じた時、怒らせるような状況に巻き込まれたくない、とりあえず場を納めてしまいたい、などの感情がある。要は人の顔色ばかりうかがっていて、自分がどう考えているかというのが全くない。だから、いつもこの言葉が薄っぺらくなっているのだと思う。

こうした行動の原因をこの本に沿って考えると、親の顔色ばかりうかがってばかりいたことが原因だと思われる。

 

<責任を逃れようとする傾向が強い>

人から「使えない」「いい加減」とか思われたくないという気持ちが強い。そのためか、責任を負わなければならない立場で、失敗することを恐れている。そのため、他人がこう言っていた、他人がこう行動していたなどを気にしている。そうして、周りに合わせる行動に陥りがちだ。それは周囲がやっていることをやることで自分だけが批判されるのを恐れている。これは仕事では非常に困る。特に、立場を持つと自ずと責任が発生し、批判を受ける立場になる。この他人の顔色をうかがう姿勢は改めなければならない。

 

<依存している自分の背景は?>

以前から、ネットに依存していることが多い。最近はスマホなどでアニメやネットの記事を読みふけったり、コメントを書き込んでいたりする時間が長い。

この行動の理由を今まで考えたことがあまりなかった。たいてい、アニメを見ている理由は登場人物の会話などで面白い話などに見入っていたり、笑えるシーン、かっこいいシーン、感動するシーンなどそういうところに興味を持っている。こうしたことは人間関係の中でも生じることで、アニメや映画はそうした人間関係の特に面白いところや重要なところを強調して描いていることが多い。

つまり、私は人間の会話、しぐさ、思いなどに興味がある。そうしたことは何もアニメや映画だけでなく、現実の人と人との会話の中でも得られるものだ。私はもっと他人と会話を増やせれば自分の欲求は満たされていくと思う。

毒父家族を読んで(1)

『毒父家族 親支配からの旅立ち』井上秀人著、さくら舎を読んだ。

親支配とは、親の強い影響下で育った人が成人しても自分の意思や感情を持てずに悩むというものだ。こうした悩みに対しどうしたらよいかというのをワークを通して考える。

まず、私が親支配の関係にあるかを考えたが、自己肯定間の無さ、自信の無さ、意志の弱さ、親の意見に左右されやすい性格などを考えるとかなり当てはまる要素が多い。

昔は、父親は厳しかったし、勉強しろとかなり叱られた。当然、暴力的に叱られることも多く、友達と遊んだり、自分のやりたいことを自由にやれたというわけではない。勉強方法ですら親からの指示があり、この問題をいつまでにやれとか、できなければかなり叱られたりもした。正直、勉強ができるというのは親のおかげというのも大きいが、その分、犠牲にしてしまったものが多いかもしれない。

最近は自分から自己主張をしようとか、意思を持って行動しようと心掛けている。しかし、少し前は大学の学部選び、学校選び、就職先すら親の勧めや意見を聞きながら決めていた。当然、仕事にも勉強にも、熱意など持てないし、かなり周りに迷惑をかけてきた。転職や現在のフリーターの状況はかなり性格上の問題があってのことだと自覚している。

『紙の月』

最近、やっと時間ができてDVDを見た。

 今回見たのは『紙の月』だ。主人公の梅澤梨花宮沢りえ、不倫相手の大学生を池松壮亮が演じている。詳細なあらすじは省略するが、銀行に務めている主婦の梅澤梨花が銀行のお金を横領し、破綻していく人間の姿を描いている。横領の動機は大学生の平林光太に貢ぐためだった。

 梅澤梨花は夫とのすれ違い生活に辛さを抱えて生活しており、その姿はドラマ全体で表現されている。銀行のドライな空気が、生活の中にもしみだしていて、真面目な生活にストレスを感じている姿がよく表現されている。

 その中で、若い大学生(平林光太)との自由で自堕落な生活に喜びを見出しつつも、さらなる欲望を求めて転落していく。しかし、二人の関係はお金やきらびやかな生活の中でつながれたものでしかない。

 

特に、梨花が光太にお金を貸すシーンでの光太のセリフが興味深い。

「(お金)受け取ったら、たぶん、なんか変わっちゃうよ。」

この後、お金を貢ぐ女となっていく姿は痛々しい。