tamamurasaki’s diary

不登校、読書、福祉、思ったことなどを書いていきます。

ディメンションW、第6話のセリフ

先日放送していたディメンションW、第6話で良いセリフがあった。

百合崎ミラ:「結局、私が一番理解していないのは私自身なんですね。自分がなぜ生まれたのかすら分からない。」

マリー:「生まれた理由なんてもんは無いんだよ。道具にでもならないかぎりはね。今ん所あんたは道具じゃない。」

 生まれた理由、生きている動機、今やっていることの動機などを色々考えてしまうことは多かった。でも、マリーの励ましの一言は私にはすごく素直に受け取れた。

道具は作られる段階で役割を与えられる。パソコンならネットを見る。文章を作る。動画を見る。こうした目的を持って作られる。

だが、人間は道具とは異なり、「こうしなければならない」という明確な役割を与えられていない。非常に自由な存在だ。そして、自分がなぜ生きているのかを考え、明確な目的が分からないとしたら、それこそが自分が人間であることの証明と言える。

「○○をしなければならない」「○○でなければまともではない」そんな考え方こそ道具に近い考え方だといえる。目的が無い以上、何をするかは自分で決める。その意思を持った存在こそが人間だ。

「何をやるか」は自分で決めていい。当然、環境や境遇によって色々と制限は受けるが、その中で考えながら自分のやることを決めて、自由に生きれば良い。その中で楽しさや辛さ悲しさなどを乗り越えて、自分なりの人生を送れれば人として十分だと思う。