tamamurasaki’s diary

不登校、読書、福祉、思ったことなどを書いていきます。

私の不登校のタイプ

ここで、もう少し自分がどんな理由から学校に行かなくなったのかを考えてみる。

不登校には様々なタイプがある。

・分離不安型タイプ:母親から離れることが不安。

・いい子息切れ型タイプ:几帳面な性格でこだわりが強い

・甘え・依存型タイプ:内面的に未成熟、我慢ができない
・無気力タイプ:登校しないことへの罪悪感が少ない
・学校生活に起因する型タイプ:人間関係トラブルが原因
・神経症などを伴うタイプ:精神疾患の症状を伴う
・発達・学力遅滞を伴う型タイプ:学習についていけない
 

私が不登校になった直接の原因は小学校におけるいじめや先生の対応の不満が原因だった。

しかし、よくよく考えるとそれはきっかけにすぎず、もっと色々な理由があった。

というのも、学校に不満があり学校に行かなくなる以前から、私は学校がつまらないと思っていたし、勉強が苦痛に感じていた。また、親からのプレッシャーも相当なもので苦しかったと考えている。また、両親が障害者であるということが周囲の子どもたちに知られることになり、自分に対する差別的な見方というのも周囲にあったと思う。

親は障害者でありながら店舗を持っていたり、家も持ち家だったりと障害者にしては裕福だったと言える。健常者でも団地暮らしの子どもやもっと恵まれていない子どももいた。

また、私自身も体格的にひ弱な体型をしていたということもあり、周りの子どもにとってはいいターゲットとなっていたのだと思う。

こういういじめを受けやすい自分の状況があり、結果的に不登校という事態を招いてしまったと考える。

とは言うものの、せめて中学に行くとか、フリースクールに行くという選択はあった。もちろん、私も孤独感から学校に行きたいという感情はあった。

しかし、学校に行く恐怖心や、行くことが本当に正しいのか、行かないことで起こるデメリットなどを理解できずにいたた。結局、中学・高校は行かないまま過ごしてしまった。

それは周りの大人に相談できる人がいなかったというのも大きな原因だった。

それでも、勉強については塾や自主的な方法ですることにより、遅れることはなかった。やはり、暇な時間が多かったため自由に勉強でき、その環境も良かったのだと思う。

 

以上のことを考えると、私の不登校のタイプは『学校生活に起因する型タイプ』であろう。また、こうしたトラブルを抱えやすい素質や環境が根底にあったのだと思う。

そして、不登校になってからは、勉強がそれなりにできたこともあり、不安感を感じにくい環境が助け、惰性によりなんとなく過ごしてしまったのだろう。

不登校児だった私

不登校は今も昔も変わらず存在する。

就業もしていない未成年者が学校に行かないで生活していれば、確実に将来に影響を受ける。しかし、不登校は本人の問題が解決され、社会の問題が解決されないかぎりなくならない。そして、彼らは長期間苦しみ、社会の損失は拡大するだろう。

 

私自身も中学・高校は不登校で一日も登校していない。

理由は様々であったが、一人でどうすることもできず過ごし、いつしか諦めたというのが原因だったといえる。

相談できる大人と言うのは、子どもにとって親や親類もしくは学校の先生だったりする。大人に対して信頼感を持てない子どもは誰にも相談できずに孤立し、解決の方法を得ることができずに迷走する。

私の場合は、相談というより、道を親に示されそれに素直に従った。

それは大検を受験し、大学に行き、社会復帰を果たすというものだった。

正直、この選択は正しかったとは思えないが、少なくとも間違いではなかったのだと思う。

次回、私がなぜ不登校になったのかということをもう少しよく考えてみることにする。

 

社会福祉士の実習が始まった

実習先の施設は100人規模の知的障害利用者がいる施設。

高齢化・重症化が進んでいて、自分のいるグループホームとはだいぶ雰囲気が違う。

自分の施設は若くて元気な人が多い。

問題行動や自傷行為も激しい。

それに、体力があるから夜中に騒ぎ出す人もいる。

 

対して、実習先の施設は高齢の方も多い。

90歳を超えるおばあちゃんもいるぐらいだ。

車椅子の人も数十名近くおり、どっちかというと高齢者施設とも思える。

当然、抱える問題も異なり、嚥下が悪くなっている、足腰が弱って自力で立てない、食欲がない人など。

 

様々な姿を見て、自分たちのやり方。

「できることは自分でやろう」ということには限界があると考えてしまう。

私の施設でやっている支援は一つのあり方として正しい。

 

でも、重症化・高齢化に対応した支援も考え、幅を持たせていくことも必要なんだということに気づかされた。

お互いさまとギブアンドテイク

最近、図書館で『脱・「臆病」入門』松本圭介著、すばる舎リンケージを借りてきて読んだ。

そのなかで気になったことがあったのでメモする。

私も人付き合いが苦手で、一人で何かするほうが気楽だったりする。

人間関係がめんどくさいというのがある。

なぜだろうか?

やはり、根底に資本主義的な考え方があるからと思う。

貸し借り、ギブアンドテイク、魚心あれば水心…。

 人と人が付き合う中で感謝をするというのは重要なことだと思う。しかし、それが何かでその人に報いなければならないということになれば、私のようにテイクができない人はなかなか関係を広げていくことは難しくなる。

それについて次のように書かれている。

 今では、「お互いさま」=「ギブアンドテイク」、つまり恩の貸し借りの関係ととらえられてしまっています。あの人と付き合えばプラスになる、この人となかよくなればこういうときに役立つ、という基準で人を判断する。他人に何かをしてあげるとき、必ず見返りを求めてしまう。

このように人間関係が帳簿のように貸借関係に置き換えられれば、すごく不安に満ちた関係となってしまう。そこから一歩踏み出していくことが重要だ。

その関係について次のように書かれている

 ギブアンドテイクの「お互いさま」から、感謝の「おかげさま」の世界へと入っていくことが大事なのです。

 義務を感じて感謝するのはやはり感謝ではない。むしろ、無償でもいいからひたすら感謝すること。心を込めた感謝こそが良い関係のきっかけなのかもしれない。

 ここでさらに仏教の慈悲について説明されていて、人間関係に通じることが書かれている。

 仏教では、慈悲の心を持つことがすすめられます。他者をいつくしみ、幸せを願う心を持つのですが、それは何か見返りを期待してのことではありません。むしろそういう心を持つこと自体が、自分自身の幸せでもあるという見方をします。

この本を読んでいかに自分が窮屈な中で生きているのかということを考えさせられた。

 

重度の知的障害者の指導と虐待。

仕事で知的障害者にかかわっていると、子どもに対するように注意しなくてはならないことも出てくる。

 

夜なのに騒ぐ、寝ないでテレビを見続ける、ウロウロする、他人の物を破る…。

 

本当は、理解してもらって、やめてもらうというのが正しいのだろうが、こちらの意図を理解してもらえない人に対してはなかなかやめてもらうのが難しい。

それで私は手っ取り早い方法で対応してしまうことがある。例えば、健常者に対してなら言わないような暴言・言動をとってしまう。

一つには命令口調。

やめなさい!いい加減にしなさい!

二つには威圧する大声やにらみつけ。

大きい声で注意する。ジロッとみる。

本来なら、サービスを提供している利用者にそんな言動はありえない。

 

障害者の虐待がダメというのは分かっているが、人、時間、金は限られてるわけで、その場を収める方法をとってしまう。

それは支援の方法としては下の下だろう。

 

下記は障害者虐待防止法の虐待にあたるものだ。

『障害者に対する著しい暴言、著しく拒絶的な対応、または、不当な差別的言動その他の、障害者に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと』

 

これを順守するのは当たり前だが、当たり前をちゃんとできていないことが多い。

ほんと反省すべきだ。

初めての投稿

名前は、たまむらさき(tamamurasaki)

自分の考えてることをぼちぼち書いていってみようと思う。

読んでる本で気になったことなんかメモしたりして少し自分を見つめなおす時間を作るために書いてみようと思う。