tamamurasaki’s diary

不登校、読書、福祉、思ったことなどを書いていきます。

餃子とハイボール

先日の金曜日、餃子で一杯飲んできた。

立川の餃子のニューヨークというお店だ。一人でカウンターで飲んでいたがそんなに気にならない。本当はもう一人連れて行く予定だったが、来なかった。結局、一人飲み。

コークハイボール、チーズ揚げ餃子、焼き餃子、豆腐のサラダを食べてきた。

夕食を兼ねていたのですごくたくさん食べてきた。価格は一皿400円ぐらいでまあまあの値段。だが、餃子がすごく美味しい。特に、ハイボールとの相性が良い。

チーズ餃子は中のお肉とすごくマッチしていて、カリカリの皮でチーズがとろ~りと出てくる。餃子の皮は自家製らしくすごく肉厚だ。焼き餃子だとプリプリの食感になる。

色々な種類の餃子が用意されているため立川に用があったら餃子を食べに行こう。

不幸や不遇に甘んじていること

昨日放送してたアニメ、物語シリーズの最後でいいセリフがあったのでメモ。

不幸や不遇に甘んじていることを頑張っていると思っちゃっているんじゃないの?

そういうの世間では何もしていないって言うんだよ。

不幸なぐらいで許されると思うな。ハッピーエンドを目指すんだ。

幸せになろうとしないことは卑怯だ。

                       by 斧乃木余接(おののきよつぎ)

                       終物語 第12話 『しのぶメイル その陸』

 

 不幸であることを自慢してしまうこと。例えば、自分の家は大変で、お金もなくて困っている。だから、こんな仕事したくないけど仕方なくやっている。

 そんなのは言いわけだ。僕は不幸だから仕方ないんだ。そんなことは許されない。大変なのはみんな一緒。それでも、今より良くなればいいと思って前に進んで行くしかない。 みんな今よりマシなハッピーエンドを目指している。

 自分に言われているように思えた。

 

悩みがないってうらやましい。

最近、『福祉職のための心のケア講座』というのを受けてきた。

 会議に参加していた人は「う~ん。悩みなんてありません。」「悩みねぇ…。」という方ばかりでなんとなく困っている人は少ない様子だった。

本当にうらやましい!

私などは日々悩みながら生きているようなものだ。

 

 個人的には、これから就職先を探していくに辺り、どんな施設が良いだろうか?給料はいくらぐらいでいいか?職員のチームワークはとれているか?研修はあるか?今後、資格取得はしていけるか?それとも、今の職場に正職員として雇ってもらおうか?など。考えだしたらきりもない。

 

 仕事では、あの利用者の私の対応はまずかったのでは?少し相談してみよう?なんで彼は自分の時だけ問題行動とってしまうのか?何が良くなかったのか?自分の話しかけ方とか問題あるか?などこっちも考えだしたらきりもない。

 

 そして、過去のことを思い出しては悔やんでみたり。あの時、自分がもっと強ければ、体が大きければ学校に通い続けていたのだろうか?中学に行っていれば、少しは今みたいな人間関係に悩むことなんてないのか?大学受験の時、もっと将来のことを考えて入学してればこんな遠回りしなくてすんだのでは?もうすこし、自分の相談相手を考えて人付き合いしてれば変わったのか?大学卒業後、フラフラしてないで、もっと真剣に仕事探ししてればよかったのか?そもそも、親の言うことを聞きすぎる自分が情けない。

 

 今の悩み。仕事はしたいんだけど、根っからのニート・ひきこもり体質なのか、仕事が嫌い。やっているときはすごく充実して楽しいけど、終業して家に帰ると、このまま家に引きこもって寝ていたいという葛藤に苦しむ。もはや救いようがない。

 

こんなふうに、考えだすとキリがない。

悩んだ時、どうするか?本当なら誰かにしゃべって楽になるのが一番だろう。

 でも、子供の頃はほぼ引きこもっていて、外に出ても、人と話すのが非常に嫌だった。そのため、将来の不安とか、自分の情けなさとかの悩みはノートの中で憂さ晴らししていた。今の問題がなにか?今できる範囲で何をすべきか?そんなことを日々つらつらと一人で書いていた。

 大学受験とか勉強が忙しかった時は、スピード力ないことに悩んでいて、どうしたらもっと英文を速く読めるか?国語も文章題をいかにして読み進めるか?などが悩みだった。それに対して、本屋にいって参考書なんかをあさり、読み方の工夫なんかをしていた。(この時、あみ出した方法は、あえて文章を読みきらず、必要な部分だけ読むという方法。今はどうでもいいが。)

 

まあ、当時も今も変わらない悩みは、「自分に自信がないこと」だろう。

 原因は過去の事だったり、親とのことだったり、自分の能力の事だったり、色々とあるだろうが。それらが整っていない人でも自信を持っている人はいる。

 多分、自分の自信のなさと言うのは、習慣、性格みたいなもので、いわば私なりの障害特性なのだろう。もう、これとどうやって付き合っていくかを考えるしかない。

 これから悩みがないという状態は中々望めない。でも、悩みながらも、前に進めればそれで良いと思う。

 

 ということで、今の悩み、これからどうするか?どこの施設にしようか?できれば知的障害の施設で、あんまり高齢の人ばかりでない所が良いな。これから施設探索ということで応募とか見学をさせてもらおう。でも、仕事と資格取得とか両立できるかな?すごい不安。

施設支援と地域支援メリット・デメリット

相談援助実習も来週でラスト。

 「やっと終わる」という気持ちと「もう終わりか」という気持ちが半々。「つまらない」と思っている時もあったし、「おもしろい」と感じた時もあった。とくに、利用者が今までにない反応をしてくれた時は面白いと感じる。ダウン症の利用者が今まで返事をしてくれなかった。でも、休憩中、偶然外で出会い。1対1で話す機会があった。それ以来、少しづつ話かけてもらえるようになったし、話しかけても返事してくれるようになった。信頼関係を作るきっかけはどこにあるか分からない。

まあ、こんな話はともかくとして、今回の最大の成果を考えてみる。

 

 一つは、施設により特色があり、役割が異なる。そしてニーズも様々なのだから、それに応じて施設も活用されれば良いと思う。

 例えば、実習施設は障害者が100人程度利用している。障害も重度障害が多く、高齢化し、ADLも低下している。

 一方で、私の勤務するグループホームは25名程度の知的障害の利用者で、軽度の方が半分、重度の方が半分ぐらいで、若年層が半数以上、ADLも高い人が多い。車椅子の人は一人も居ない。せいぜい、杖を付く人ぐらいだ。

 

2つの施設の特徴や強み、弱みを整理すると。

 実習施設は、重度の方でも対応できる体制があり、人員や設備も良い。例えば、レクリエーションは施設内でできるし、病院も敷地内にある。さらに、職員の数も質も圧倒的に良い。福祉系の大学を出ている職員も多いし、レクに来る職員も専門家が多い。つまり、設備面では圧倒的なメリットが有る。

 また、利用者も多く、賑やかなので、さみしがりや、人とのふれあいが好きな利用者は施設のほうが快適に過ごせる。

 逆に、デメリットは職員の人数や利用者の人数が多すぎ、全体の把握が困難という点がある。とくに、職員に関しては、それぞれの上下関係が強いなどがあり、職員間の話し合いや相談関係が不十分な印象がある。これは、利用者の対応を統一するとき、困難な対応を迫られた時、非常に困ることになる可能性がある。

 

今度は、私の働くグループホームのメリット、デメリットを考える。

 メリットは、近隣にスーパーなど地域の生活が接近しているため、健常者により近い生活ができる。施設に居たのでは自分でお買い物するという機会すらなくなってしまう。これは自分で日常を選択し、構築する力、つまり、生きる力をつけるという意味でも非常に重要だ。

 さらに、グループホームは人数が少ないということもあり、コミュニケーションが取りやすく、利用者も職員の名前を全部覚える事ができる。そのため、利用者と職員、職員同士などの関係が非常に密接になる。とくに、職員の連携がしっかりしている点は、利用者対応が統一でき、意思決定なども早い。意思決定の速さは個人の最良を上げる事につながり、アイディアなども出やすいし、反映されやすい。

 また、地域での生活にうまく溶け込めた利用者は非常に活き活きとし、地域移行の理想的なスタイルを確立する人もいる。グループホームから作業所に通い、買い物も自分で行ける。さらに、週末や祭日は市内の自分の両親の家に帰る。そういう環境で生活出来ている人は非常に活き活きとし、地域移行の意義も感じられる。

 逆に、デメリットは、職員の質に問題がある。ほとんど8割近くがパートで構成されているため、あまり考えず仕事への意欲に乏しい人が集まりがちだ。そのため、対応が雑だったり、声のかけ方が雑になりやすい。特に、人が入れ替わるなどし易いため、専門性がつきにくい。

 また、設備も近隣の病院などを利用するため、通院が大変などの問題もある。病気になった時、持病を診てもらう時、病院にかかりにくい環境に置かれ安いため、比較的健康な人出ないとなかなかグループホームで生活するのは難しい。

 さらに、集団生活の中で生きてきた知的障害にとっては地域で暮らすことは非常に難しい生活であろう。日常生活は与えられるものではない。自分で選び形作るものである。施設では、色々とその人が生きやすい設備が用意されているため、生活はすでに用意された環境で生きていける。しかし、地域で暮らすためには、ある程度自分の生活を自分で選択することが必要になる。今日は誰と過ごすか?自分のやりたいことをやれる環境にあるか?なければどうしたら良いのか?地域生活では地域の中で生活を組み上げていく必要がある。そのための支援が必要なのだろうが、費用の問題や時間の問題などで、すべての設備や環境を用意できない場合も多い。作業やレクリエーションは施設では色々と自由に参加しながら、自分の生活を形成できる。しかし、地域では自由にとは行かない。職員も限りがあるし、地域の作業所やレクリエーションは限られてくる。やはり、現状では地域で生活するのに向く利用者と向かない利用者がいる。それは地域の中では施設と文化が異なり、地域の生活には制約が多いからというのが一つの理由だろう。

 

 結論として、両者は異なったものであり、ニーズに合わせて提供できれば理想的だと思う。施設は意思決定能力が困難な利用者、高齢化、重度の障害など多くの問題を抱える方が利用するのが一番良いと思う。

 一方でグループホームは、もともと地域に暮らす障害者が地域で生き続けるために、後見人亡き後も地域で暮らすための施設として提供されれば良いと思う。

 

 

不登校時代に出会った不良

 私が不登校になり、10代前半のしばらく数年は逃避したいという気持ちが強く、ゲームに没頭していた。とにかく他のことを考えないようにしていた。余計なことを考えていると、将来、自分は中卒の引きこもりになるのではないかと考えてばかりいた。結局、大学にも入学できず、家を追い出されて、底辺を這いずるような生活が続くのではと不安な未来ばかりが頭から離れなかった。そのたびに、もっと苦しい未来が現実にならないうちに、早く死にたい。楽になりたいと考えてばかりいた。毎日、自殺の方法ばかり考えていた。それが怖くてゲームばかりしていた。まったく、今考えると情けない話である。

 

 レールから外れた不安定な未来が怖かった。そのため、ゲームの世界に自分を求め、少しでも強い自分というのを作り上げたかった。
 そんな時、暇をしている私は父親の古本屋の仕事を手伝うようになった。人間不信とか人と関わりたくないという気持ちは強かったが、孤独感のほうが強くなんとか店番をやっていた。来るお客は不良少年・少女がよく来ていた。警察を殴って捕まったやつ。万引き犯として補導されるやつ。シンナーやっているやつ。母親の不倫やら、宗教やら、パチンコとかで家庭が壊れているやつ。中学にも行かないでコンビニでバイトをしているやつ。みんなそれぞれに苦しい事情の中でなんとか生きていた。
 確かに、彼らは夢とか希望とかそんなものは持ち合わせない。だが、それぞれの与えられた環境の中で、苦しいながらも生きていた。底辺の人間はタフだったし、五体満足な自分の環境は全然マシに思えた。


 そういった状況と比較すると、自分は何もやっていない。やれることはいっぱいある。彼らのように中卒で生活しなければならなくなるような状態にはない。まだ恵まれている。両親も応援してくれている。私は自分の状況を変えられる環境にあるし、その能力があると信じて、恐怖心と戦っていた。
 確かに、勉強はいくらやっても成績が上がらなかったし、なかなか満足な結果は得られなかった。そのたびに、漠然と恐怖心がまして、逃避したい感情は膨らんできた。だが、まだやっていないことは山程あった。それでも、繰り返すことを徹底し続けた。単調な作業で、ほんとに意味があるのかわからなかった。日々、問題集を音読するとか、ラジオで英会話を毎日聞く。単語帳を毎日覚えて、例文を音読し続ける。そんな生活を数年間続けた。
 それでも、成果が上がらないこともあり、私の危機感は増大した。そんな時、父親が骨折し倒れ、不安感がピークに達した。このままでは来年はチャンスはもうない。そう思ったら、焼けばちになり、まあ、落ちたら落ちたでいいか。働きながらでもいいからのんびり勉強続けようと思い。
 それまでのやり方をあえて変えず、範囲を広げず、テキストを読む、問題をとく。という一連の作業をもう一度いちからやり直していた。徹底した基礎固め、徹底した復習。それだけしかやらなかった。そして、なんとか一浪し、H大学に入学できた。

 

 思い返すと、あの時出会った不良グループは私の人生の反面教師として、また、良き手本として原点になっているのだと思う。世の中どうしようもないことが多くあり、絶望的だろうけど、誰も彼もがそんな中で生きている。他人に迷惑をかける人間もいるかもしれないが、彼らも弱者であり続け、それでも生きている。そんな彼らは私のような愚か者にしぶとく生きつづけることの大切さを教えてくれた。

 

まとめるとこんな感じだろう。

人間はしぶとくていい、迷惑かけてもいい、バカやってもいい、ただ生きてればいい。

 

知的障がい者との触れ合い

大学卒業後、かなり長くふらふらとしていたが、今は知的障がい者との関わりを続けていこうと思うようになった。

もともと、そんなに対人関係は得意な方ではない。

かといって昔みたいに人間不信もなくなった。

特に最近は利用者様との触れ合いの時間は楽しいと感じる。職員の方もそれほど変な人間はいない。変というのは嫌なやつという意味だ。たしかに、変わっている人間は多いかもしれない。やはり、風変わりな人間を相手にしているからというのも理由だろう。

 

今まで、仕事をバリバリこなして立派なサラリーマンになりたいとか思っていた時期もあったが、「自分には100パーセント毎朝定時に起きて、接客、事務仕事、営業なんてできない」と思っていた。

 だが、知的障がいの方は人懐っこい人も多い。感情なども素直で裏がないという意味ですごく親しみやすい。だからこそ、大変なこともあるが「しょうがないな~」と思って、一緒に過ごしていることも多い。

 なにより、彼が何を考えているのか?何をして欲しいのか?どうしたらいいのか?

障がい特性を考えつつ日々試行錯誤しているのが面白い。

不登校のデメリット

不登校は本当にいけないのか?

考えられるデメリットはなんであろうか?

勉強が遅れる。

社会性が身につかない。

体力がつかない。

 

 勉強が遅れるという部分については、塾やフリースクールなど他の方法をとって勉強をすることは可能だ。また、性格によっては勉強が好きな子どもは勝手に放っておいてもやる。大学へ行きたければ高卒認定試験などを受験して大学へ行くこともできる。大学入学までの間はアルバイトをしながら、勉強をするという方法も取れる。これは高校へ行かない人間のメリットでもある。

 

社会性が身につかないという場合の社会性とは?

 子どもたちがケンカになってその解決を自分たちで行うことは生きていくうえで必須のことだ。大人と子どもであれば大人が導いてあげる事ができる。しかし、大人になって社会で生きるにあたり、自分で解決しなければならないトラブルも出てくる。その時、どんな方法をとればいいのか?子どもの時に色々考えて経験しておくことはすごく重要な事だと思う。そのため、子どもは学校に行くべきだろう。だが、精神的に非常に追い込まれている時などは他の方法で代用されてもいいだろう。そういう人にとっての居場所は、日本ではフリースクールに通って活動するぐらいしか方法がないかもしれない。

 

体力がつかない。

 対人関係が原因で不登校になる人間は総じて人間不信になっている。そのため、放っておくと、どこへも行かないで家にこもりきりになる。そうすると一日中家にいるから体力がつかない。成長期にこういう経験をすると将来においてあまり良くない。やはり、自分なりに通えるスポーツ教室があればいいだろう。だが、これは対人関係が難しい人は越えがたいハードルでもある。サッカー、野球、テニス…etc。スポーツは個人でやる競技もあるが、そうでない場合は不登校に厳しかったりする。やはり、教室選びは慎重にすべきだろう。